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名匠 田邉正博「一色信彦のAmbassadorと呼ばれる男」


TSUNAGU by 3719.jp

編集後記

「ボクはあの時、死んだと思ったんだよ」

「外交官になる夢」を叶えるため、名門ラサール高校を経て東京大学を受験しましたが、失敗に終わりました。
田邉先生のキャリアは挫折から始まります。

実家が開業医をしていたこともあり、仕方ないから「医者にでもなるか?」っと思い直し京都大学・医学部に進みます。

ここで、米国カリフォルニア大学の留学を終え、京都大学で講師をされていた「一色信彦」先生(後に、一色の甲状軟骨形成術=Isshiki Methodを考案した、この道の世界的権威)と運命の出会いを果たす事になります。

田邉青年は一色先生の情熱、哲学にたちまち引き込まれ、一色先生の元で医師としてのキャリアをスタート。
気が付けば55年もの間、一色先生の右腕として(海外ではDr.一色のAmbassadorと呼ばれる)英国、米国、ハンガリー等世界中で称賛と表彰を受ける輝かしい経歴を傍で支え続けた、言わば一色Methodの真の功労者であり、直系の伝承者です。

歴史の話です。
世界に誇れる現代の日本の美意識、心のさま、文化が熟成された江戸時代は、15代に渡って徳川家が紡いできたものです。
家康、家光、綱吉、吉宗、慶喜。
スラスラと名前が出てくる将軍は限られていますが、15代に於いて、ただの1人が欠けても、歴史や文化は伝承されることはなく、何よりも熟成させるチャンスを失う事になります。歴史や文化を伝承、継承する事は、当事者にとっては名前の人気投票ではなく、遥かに重責を担った大仕事だということを、歴史は教えてくれます。

敢えて、無粋な質問をさせていただきました。

どうして55年もの間、多くの門下生を抱えた一色先生一筋でいられたのですか?

「ボクはね、一色先生に付いてキライな所は一つもないよ」
こう断言され「そうね~、好きな所も別段無いなぁ、不思議だねぇ~」と続け、
「とにかく、一色先生には寝る間も無いほどコキ使われましたよ(笑)」と結ばれました。

暫くの沈黙の後、田邉先生はこう続けられました。

「ある時、廣戸幾一郎先生(一色先生の師匠にあたる京都大学の先生)がこうおっしゃったんですよ。
君、バス停の前に立ってんだったら、来たバスには乗るもんやで、っと。
今にして思えば、その言葉には2つの取りようが有るのだけど、その時はやっぱり嬉しくてね~」
師匠のそのまた師匠のその言葉が田邉先生に覚悟と信念を与え、誇り高き「本物」としての道を歩むことを決定付けました。

一方で田邉先生は、世界的権威である一色先生の後継者として、
一色先生を筆頭に周りからの期待とプレッシャーを一身に受けることとなります。
(一色先生を超える論文を書くこと、新しい技術、手術を系統立ててキチンとジャンルとして確立させる事、等など…)
それは計り知れない大きなプレッシャーと葛藤の日々が続いた事は容易に想像できます。

Isshiki Method =甲状軟骨形成術は、全てに於いてより高度な技術、知識と経験を駆使して挑む手術ですが、一色先生の哲学はさらなる高みにあります。

「声を治すことは心を治すことである」
一色信彦

田邉正博先生80歳。
週に5日手術台に向かう現役医師。

「医者って言う仕事は大きく分けて2つあってね、
1つは命を直接扱う医者と、もう1つは悪い所を治す職人みたいな医者があるんだよ」

一色先生と共に歩んできた功績の歴史を論文に纏める事(つまり新たな名声)は後輩たちに託し(譲り)、一色先生の持ち合わせた「情熱」「哲学」を直系継承者として、後継者となり得る後輩たちに一瞬でも長く「見せて」「触れさせて」正しく伝え継承してもらいたい。と言う強い「信念と覚悟」が込められていることが理解できました。

最後に田邉先生に将来の夢についてお伺いしました。
「職人の世界にはその道を極めた匠が存在しますが、ボクはその匠、名匠なりたいんですよ」
「医療の世界では70点で及第点と言う考え方も一方でありますが、ボクは何時でも100点を目指したい。いや、少なくとも99点は確実に獲りに行きますよ」

日々、患者の方と向き合い、声を治すことで心を治し続ける80歳は、老いるどころか日々心躍らせ、
「今日が我が人生で最良の日である」を日々更新中です。

人生は実に様々な要素で成り立っています。
しかし時には、1つの挫折、1つの出逢い、そして1つの言葉。
これらが決定的な人生の羅針盤として作用する事があることを教えていただきました。

インタビューを終えて最後に先生から一言。
「ボクの人生で、今日この場で皆さんにお会い出来たこと、一緒に過ごせたことが最良最高ですよ、本当にありがとう」

この言葉に含まれた2つの意味、「お世辞」と「先生の信念」、双方が心に響き、嬉しくて涙が溢れました。

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